津波は、この海岸から上陸し、陸前高田の市街地を壊滅状態にしました。
市内の5つの駅の中で残ったのは1つ。
あなたの街で、イメージしてみてください。
4つの駅が流出(粉砕)です。
この周囲には電信柱も一本も残っていません。アスファルトは剥がされ、丈夫な鉄筋コンクリートの建物も倒壊しています。
残ってる事が奇跡です。
その事実を、どのように解釈するのかは、その時の日本人に委ねるしかありません。
願わくば、災害・産業・観光・環境など、広い視野にたった街づくりをする事を願います。
南三陸町の防災庁舎=被災建物で残す。
宮古市田老地区=津波の高さを示す。
甚大な被害を間近に見た後に、希望の松を見ると感じます。
「残ってくれたことに感謝」
感謝という気持ちで眺められる唯一のランドマークが「希望の松」です。
今後の陸前高田市の復興を考えると、観光を基軸としたまちづくりしか想定できません。
その観光の目玉となるのが、希望の松です。
希望の松が枯れてしまうと、何もない砂浜になってしまいます。
震災のイメージを後世に残すには、ただの砂浜では弱すぎます。
映像で見て「知識」としては持っていると思います。
しかし、現場に入ると「重み」が「知識」に重なります。
自分に出来ることの壁が動く瞬間です。
様々な意味で被災地を継続して応援する必要があることが、このツアーから体験できます。
今回の震災は、「広く」「深い」。
復興には、膨大な時間と費用を必要とします。
被災地以外の方々が、被災地を支える為にも、このツアーは重要です。
希望の松は、この被災地ツアーの重要なポイントになります。
そして、時間の経過と共に震災の面影が少なくなる事でしょう。
震災から30年も経過すれば、都市部では面影も無くなる事と思います。
希望の松の推定樹齢は250年以上。
この松ならば、今後数百年に渡って震災の記録を後世に伝えることが可能です。
完全に復興を遂げた、百年以上先の未来に届けられる生き証人。
それが、希望の松です。