義援バルーン空撮
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浪江町請戸地区

浪江町請戸地区 2011年4月16日[撮影者解説]

2011/04/25追加:
請戸地区に関係されている方のブログからリンクされている事がわかりました。
公開済みの画像の中から高解像度画像を公開させていただきます。

請戸橋から請戸小方向 高解像度画像:5616×3744 6.1MB
請戸橋から海岸方向 高解像度画像:5616×3744 4.3MB
こちらから、さらに高いところからの画像が見られます。 CubicVR

請戸橋 福島県浪江町請戸地区。
福島第一原子力発電所から約7kmの地点。

この撮影日は、原発から半径20km以内は避難指示が出されています。
既に警戒区域(関係者以外立ち入り禁止)の検討に入っているとの事ですので、最初で最後の撮影になる可能性があると判断し現場に入りました。

避難民の方の感情も配慮すると撮影・公開には悩みました。
その結果は公開という決断になりました。

この判断に関しては、ページの下部にて述べさせて頂きます。

請戸橋欄干 南相馬の海岸線沿いから行けるところまでという目標で南下したところ、この場所にたどり着きました。
なお、南相馬(避難指示区域外)から、この場所までは検問などはありませんでした。

ここに至るまでの市街地では空き巣の形跡。さらに、瓦礫の中には開けられた金庫。
財産と人命のどちらが大切かは、簡単に判断出来ます。
原発が不安定であった頃に、パトロールをして欲しいなどとは意見しません。
しかし・・・
立ち入る者を完全に排除することは出来なかったのでしょうか?

福島第一原発 北から7km この場所で注目されるのは原発事故の事になるため、そちらから解説します

この撮影日は2011年4月16日。
3月11日から一ヶ月以上が経過しています。
初期の「制御不能」な状態から「予測可能」な状態に進展しています。
放射性物質の外部流失量からレベル7と発表されています。

徐々に放射線量も下がってきたいることから、半径20km以内にも被災された方が自宅の確認などに戻っていると報道されています。
それも理由のひとつかと思いますが、この時点では警戒区域への格上げ検討を行っている段階です。

浪江町請戸地区からの福島第一原発 この請戸地区を含めて原発から半径10km以内は、十分な捜索活動は出来ない状態でした。
震災から一ヶ月を経過していますが、被災当時のままとなっています。

この場所は、3日前に行方不明者捜索が行われています。撮影当日は、この場所からさらに1kmほど原発よりの場所で捜索が行われたようです。
報道もされていますが、捜索にあたっているのは警察の方々。
この震災では、広範囲且つ長期にわたって様々な方が捜索や復旧に携わっています。
特に捜索に携わる方々には、最大限の敬意を祓います。

請戸橋から南西方向 この空撮を行った請戸橋は、海から1km程度の距離にあります。
その場所から海岸方向を撮影したカット。
左端が請戸港。右端が福島第一原発。

景色の中には、木造住宅が原型を留めています。
流されてきた建物もありますが、元々の位置から動いていない建物もあります。
電信柱・橋・アスファルトが原型を留めていることから三陸海岸に押し寄せた津波よりは破壊するパワーは少ない事がわかります。

この場所なら、RC造の3階でも避難場所として機能するかもしれません。

本来は建物が無いエリア 請戸橋から西側を撮影。
この道路の右側には、本来は1.5km先まで家は一軒もありません。
津波は、この場所から1km程度の距離まで到達していますが、その間に建築物はありません。
つまり、道路の右側にある建物と瓦礫は、本来は左側の請戸港の地区にあった物。
それが津波で流されてきた事になります。

避難指示区域の撮影と公開に関して

バルーン高高度空撮 公開に踏み切った理由から述べます。
・商業目的
・法的な問題

このどちらかに該当するなら、公開(撮影)には至りませんでした。

バルーン空撮を義援にしようと考えた段階から、様々なリスクは覚悟しています。
このリスクを犯しても、次の震災の際の被害を少しでも下げる事が目的のひとつです。

衛星画像や航空写真の画質は、飛躍的に向上しています。今回の震災では過去に考えられなかった莫大な映像資料が蓄えられることになります。
今後の災害対策で、これらの資料が役立つことは間違いありません。

バルーン俯瞰空撮 バルーン空撮は、高いところから撮影が出来ません。
しかし、撮影対象に上空から近づく事が出来ます。
少し高い位置からの俯瞰空撮は、人の感覚に近いリアルな空撮画像。
さらに、CubicVRにより、位置関係を認識することが可能になります。

衛星写真や航空写真が防災資料。
バルーン空撮は記憶に訴える空撮。

数百年後の子孫が、より低い位置への備えのない住居の建築を留まってくれれば、この撮影の意味はあると考えています。
この価値と、リスクを天秤に掛けての決断です。

東北道事故通行止め

撮影は偶然の産物

2011年4月16日
この日は、2回目の義援バルーン空撮の実施予定日でした。
仕事の合間と、天気の関係から4/16~18で被災地に入る予定を立てました。

今回の目的は、女川町立病院付近での津波の高さで空撮CubicVR。
このホームページのトップページにも、女川町から南下していくスケジュールにて撮影予定を公開していました。

徹夜で山梨から女川町に向かっていましたが・・・
ここで、計算ミスが入ります。東北道が福島西で事故により通行止めになってしました。

渋滞 夜明けと同時に女川町に入るスケジュールでしたが、事故による渋滞により大幅にロスをしてしまいました。
この日は、寒冷前線が近づいていることから、正午前から大荒れになる天気予報。
当初の予定では、女川町立病院に6時着。
2時間程度の撮影後に石巻に向かう予定でした。
しかし、2時間以上をロスしたことから、当初の予定通りには撮影は出来ないという予測が立てられました。

この日の撮影可能時間は、日の出から11時まで。
限られた時間を有効につかうために、撮影目的地を福島西ICから近い南相馬市に切り替えました。

南相馬市 撮影予定に組んでいなかったことから、十分な下調べが出来ていません。
この時点での南相馬市に関する知識は・・・
・現在は20km以内避難指示
・警戒区域の検討中
・汚染図から北側沿岸部は安全
・汚染図から北西は注意が必要
・原発は落ち着いている
・原発は最大余震にも耐えた

南相馬市に切り替えたのは、半径30kmなどを警戒区域とされると、以降の撮影ができないという観点から。

検問で止められるギリギリのところで、「検問と一緒に撮影を行う」がこの日の目的になりました。

南相馬市 津波被害 放射線は可能な限り浴びるべきではありません。
また、目的は震災の空撮です。
原発には興味がありません。
以上から、放射線量が低い南相馬市の海岸線から南下しつつ検問を目指しました。

まずは、検問でファーストショット。
そこから、風が吹き始めるまで、北上というのが修正されたスケジュールです。
撮影候補地を探しながら南下します。

結果として、何の障害もなく浪江町に入れてしまった事に驚いていました。
検問もなく、報道で見ていた防護服を着ているような方も一人もいませんでした。
※理由は、早朝である為。

浪江町 津波被害 この日のファーストショットになります。
場所は、浪江町棚塩地区。
つまり、半径20km圏内です。
ここで、瓦礫により行く手を阻まれました。
検問は無かったのですが、ここが最終目的ポイントになるハズでした。

私もカメラマンの端くれです。
撮影出来るチャンスが目の前にあって、それを捨てる事は出来ません。
確実に原発に近づいてしまったという意識はありましたが、事前の知識(海岸線は放射線量が低い)を頼りに撮影に挑みます。
なお、周辺住民と思われる方々の自動車が、時折走っています。

浪江町 ゴーストタウンとなっている浪江町の中で気になることがありました。
報道もされてましたが、民家の掃き出し窓の多くがガラスを割られています。
もちろん、空き巣目的と思われます。
今後の防犯対策の研究と思い周囲を回りました。
その時に感じたのは、「素人の犯罪」という感覚。プロなら数秒で無音で侵入できる条件でもガラスを割って侵入しています。
一通り捜索活動なども終わった際には、こちらの捜査も是非ともお願いしたいところです。

その際に、偶然に請戸地区に通じる道を見付けてしまいました。
その道は、地元を知らなければわからない様な細い道です。
そして、たどり着いた場所になります。

浪江町請戸橋の標識

この日の浪江町の撮影では、貴重な経験を積むことが出来ました。
原発の避難指示により、この場所は震災の時の姿を残しています。
これにより津波の直後でも、徒歩でなら瓦礫の中でもバルーン空撮が可能であるという証明が出来ました。
このバルーンには2.5kgまでの機材なら搭載可能です。
津波の被害があった地域なら最大風速10m/sでも、丸一日飛ぶことも出来ます。
平時はコンパクトに畳むことが出来て、完全な無音で活動が出来ます。

つまり、カメラの代わりに何かを上空100mに留めることによって助けられる命は無いだろうか・・・
これが、私の最終目標と言えそうです。

浪江町請戸地区 2011年4月16日:他の空撮

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