義援バルーン空撮
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希望の松 葉
奇跡の一本松

7万分の1の奇跡

高田松原。
この場所は岩手県を代表する景勝。
震災前には、7万本のクロマツとアカマツの松林が広がっていました。

津波は、この海岸から上陸し、陸前高田の市街地を壊滅状態にしました。
市内の5つの駅の中で残ったのは1つ。
あなたの街で、イメージしてみてください。
4つの駅が流出(粉砕)です。

この周囲には電信柱も一本も残っていません。アスファルトは剥がされ、丈夫な鉄筋コンクリートの建物も倒壊しています。

残ってる事が奇跡です。

粉砕された木造家屋

伝えるのは義務

東日本大震災は、正しい形で後世に伝えなければなりません。
何がそこで起こったのかを、客観的な視線で伝える事。
事実を、「弱い方向」「強い方向」のどちらかに歪めてはいけません。
脚色をせずに、ありのままを伝える事がスタートです。

その事実を、どのように解釈するのかは、その時の日本人に委ねるしかありません。

願わくば、災害・産業・観光・環境など、広い視野にたった街づくりをする事を願います。

RC造の倒壊

数少ないランドマーク

地震の特性上、震災は繰り返されます。
震災の経験のない世代に、震災経験を引き継ぐには「形」が必要です。
そこに、想像を超える津波が押し寄せたという「証拠」を示さなければ納得しません。

南三陸町の防災庁舎=被災建物で残す。
宮古市田老地区=津波の高さを示す。

甚大な被害を間近に見た後に、希望の松を見ると感じます。
「残ってくれたことに感謝」

感謝という気持ちで眺められる唯一のランドマークが「希望の松」です。

高田松原は砂浜

陸前高田には観光が重要な資源

高田松原の場所は、本来は砂浜です。
気仙沼や大船渡の様な大規模な港はつくれません。
つまり、産業として漁業や水産加工業が選べません。
農業などに適した平野部も少なめです。

今後の陸前高田市の復興を考えると、観光を基軸としたまちづくりしか想定できません。
その観光の目玉となるのが、希望の松です。

希望の松が枯れてしまうと、何もない砂浜になってしまいます。
震災のイメージを後世に残すには、ただの砂浜では弱すぎます。

震災見学ツアー

震災見学ツアー

不謹慎と言う方もいるかもしれませんが書かさせて頂きます。
被災地の準備が整った段階で、被災地を自分の目で記憶に焼き付けなればいけません。
未来を担っている子供たちには必須。
大人なら、義援金を握りしめて被災地を見学してください。

映像で見て「知識」としては持っていると思います。
しかし、現場に入ると「重み」が「知識」に重なります。
自分に出来ることの壁が動く瞬間です。

様々な意味で被災地を継続して応援する必要があることが、このツアーから体験できます。
今回の震災は、「広く」「深い」。
復興には、膨大な時間と費用を必要とします。
被災地以外の方々が、被災地を支える為にも、このツアーは重要です。

希望の松は、この被災地ツアーの重要なポイントになります。

そして、時間の経過と共に震災の面影が少なくなる事でしょう。
震災から30年も経過すれば、都市部では面影も無くなる事と思います。

希望の松の推定樹齢は250年以上。
この松ならば、今後数百年に渡って震災の記録を後世に伝えることが可能です。

完全に復興を遂げた、百年以上先の未来に届けられる生き証人。

それが、希望の松です。